大政奉還150周年記念スタンプラリー 桑名

慶応三(1867)年10月14日、徳川十五代将軍慶喜は、「従来の旧習を改め、政権を朝廷に帰し奉り」と上表する。
徳川家康が征夷大将軍となって二六四年保持してきた政治権限を朝廷に返納する「大政奉還」が為されたわけだが、2017年はちょうど150年目。それを記念してのスタンプラリーが京都市を中心として開催され、また各地でも関連の公開講座や特別拝観が行われている。

北は会津若松、南は鹿児島、全22ヶ所を巡る全制覇は無理としても旅行先を検討する際、また実際に行った上でスタンプを押すのは面白いだろうと、まずスタンプブックを貰いにまず一ヶ所目へと行ってきた。

三重県桑名市は南は伊勢平野の米、北は木曽三川を通じて飛騨木曽からの木材、東は東海道や海路を通じて東国と、そして西の京へと通じる交通の要衝であり、「十楽の津」として栄えた交易都市。徳川家康が四天王のひとり本多忠勝を封じたことからも、要衝であることは慮られる。
そして本多家が移封された後は松平家が代を重ねた。

幕末期の当主は松平定敬。
美濃高須藩主松平義建の八男に生まれ、安政六(1859年)年、十二歳にして養子に迎えられ藩主となる。
元治元(1864)年に京都所司代に任命され、実弟で京都守護職会津藩主松平容保とともに京都の治安維持を担う。同年の禁門の変では蛤御門を会津とともに守備して長州兵と戦闘し、撃退。一橋慶喜の命を受けて西上する天狗党の討伐にもあたっている。
だが鳥羽伏見の戦い後に慶喜に伴して江戸城に入ったため、国元は早々と明治政府に恭順。あくまで定敬とともに従う藩士を率いて越後柏崎、会津、函館と転戦するが、潜伏先の上海から横浜に戻って降伏した。
会津藩主松平容保と常に行動を共にしていたためか、取り上げられることは少ないものの、幕末において重要な役割を果たしたことに変わりはない。

さて、桑名のスタンプ設置場所は桑名市博物館。
駅前の市街地から離れて、建物自体も地味なので初見の人は気付かないかもしれない。駐車場は建物の南側と少し離れた東側にある。やはり桑名住であった村正の展示の際は車を停めれないほど人気だったが、訪れた際は源氏物語の屏風絵の展示であったためか、特に苦労もなく見学できた。
ただ、常設に村正はなく、幕末も僅かなもの。展示に限りがあるとはいえ、遠方からスタンプをきっかけに訪れる人もあるだろうから、もうちょっと見る側へのサービスがほしいとは訪れるたびに思う。

明治以降はコンビナートで栄えた四日市の陰に隠れた感もあるが、室町期から栄えた歴史ある街だけに、ところどころに歴史を感じる場所がある。建物はないものの堀の残る城跡の公園や、東海道を熱田から船で渡った七里の渡し、宝暦治水を行った薩摩義士の眠る海蔵寺などは博物館からも近く、散策するのも楽しい。
「その手は桑名の焼き蛤」「桑名の殿さん、しぐれで茶づけ」と言われるように、焼き蛤、しぐれ蛤が名産。また、デパ地下や高速道路SAにも出店している柿安本店も桑名。
歴史ある街だけに和菓子も豊富。伊勢茶も美味。