2018

 2017年は「茶屋四郎次郎、伊賀を駆ける」を応募するために書いていました。受賞後も雑誌に載る部分の改稿を続けました。

 2018年もまた「茶屋四郎次郎、伊賀を駆ける」を書いて一年が始まりました。書籍化に向けての加筆、修正です。本格的な校正を初めて経験しました。登場人物の年齢など事象の事実確認と漢字の使い方です。例えば、「けわしい」。表情について使う、道について使う場合と音は同じでも、漢字は違います。ただ、最初に記述した際に混用されているのを統一するのです。一括置換ボタンを押したら終了、ではありません。検索し、前後の流れから適切な字句に訂正し、また検索します。 語尾変化するものもすべて検索しなければなりません。 ひらがなと漢字と混用されているものも統一します。自分が書いたものなのですが、本当に味気なく、ゲシュタルト崩壊しながらの完全な作業です。ひたすら自らに強いて作業を続けました。

 ですが、終わりになる日がきます。1月に校了し、2月に「茶屋四郎次郎、伊賀を駆ける」が発売されました。自分の書いた作品が、本になって、書店に並んでいるのです。長年待ち望んだ光景が実現し、本屋めぐりしながら顔がにやけてなりませんでした。
 ただ、発売されてしまうと評判が気になって仕方ありません。感想をいただく他、Amazonなどのランキングや残り冊数を確認したり、名前や題名で検索をする日々が続きました。

 授賞式は発売後、しばらくしてからのことでした。選考委員の葉室麟氏は2017年末に逝去されていたため、お会いすることは叶いませんでしたが、松井今朝子氏、縄田一男氏とお話できたのは望外の喜びでした。乗馬のお話、昔の映画の話、今のアイドルの話など聞かせていただきましたが、縄田一男氏から諭された受賞後第一作の重要性はとりわけ心に染みました。その夜、編集氏と喫茶店で今後のことを話し合い、意識を受賞後第一作へと向けていきます。

 茶屋四郎次郎の子孫の方と引き合わせていただいたのは、その数日後のことです。子孫が実在するとはうっすら知っていたのですが、その方とお会いするとは全く思いもせず、相当に緊張しました。「うちのご先祖様をあんなふうに書きやがって」と叱られるかと緊張していましたが好意的に評価していただき、また武将隊やラジオ局の方にサポートしていただいて、短い出番とは言え無事にこなすことができました。
今にして思えば、ご褒美だったのかな、とも思います。

 その後から本格的に受賞後第一作の取材にかかりました。「茶屋四郎次郎、伊賀を駆ける」を読んでいただいた方が違和感を覚えぬようにと、ほぼ同時代を背景に選びました。ただ、今回は数年に渡る物語で、舞台となる場所も広く、また複数の拠点が発生します。地図や年表の作成、新たな資料の読み込み、取材、構想の練り直しを夏の間繰り返し行いました。

 私の場合、まず内容がどんな話かを一行で記載するところから始まります。
それから起承転結を記述し、資料などから入れておきたい内容を入れ込みながら更に細かく具体的にしていきます。一通りできたら、再び一行で書いたどんな話かというところに立ち戻り、余分を削り、不足を足していきます。
いわゆる伏線となる事象や、重要な事柄が唐突に出ないよう、逆算して配置もしていきます。
 最終的にシーン単位で時節や登場人物、会話や行動内容、感状の変化などを書き込んだ設計図に仕上げます。

 実際に書き始めたのは秋に入ってからでしたでしょうか。
二ヶ月執筆に当て、書き終えると少し寝かせました。二週間ほど離れて、頭から消えたあたりで再び書き直します。調べたこと、書きたいことを全部放り込みたいのですが、冗長になっては元も子もないので、削ったり、逆に書き足したり。説明不足になっているところも修正します。そして12月に第二稿を書き上げました。

 再度修正、それから校正を2019年に行うことになります。
編集氏の意見は正月明けの約束なので、このままいくか、あるいは大手術が必要となるか、そもそも今作がまるっとダメになるか、正直わからないとこです。
 桜の頃に受賞後第一作のことをお伝えできれば嬉しく思います。